
会社概要
会社名 | 株式会社 木原 | ||||||||
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本 社 | 〒915-8585 福井県越前市大虫町第7号2番地(地図) TEL:0778-24-2200(代) / FAX:0778-24-3677 | ||||||||
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創業 | 明治32年4月1日 | ||||||||
会社設立 | 昭和38年7月30日 | ||||||||
資本金 | 40,000,000円 | ||||||||
決算日 | 毎年3月31日 | ||||||||
主な 事業内容 |
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建設業 許可 | 国土交通大臣許可(特-28)第24375号 土木、建設、大工、左官、とび・土工、石、屋根、管、タイル・れんが・ブロック、鋼構造物、鉄筋、舗装、しゅんせつ、板金、ガラス、塗装、防水、内装仕上、熱絶縁、建具、水道施設 国土交通大臣許可(特-29)第24375号 解体 | ||||||||
支店 |
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会社沿革
明治32年 4月1日 | 木原文右ヱ門が福井県武生町(現越前市)に於いて、土木・建設業を営む。 |
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明治38年 4月1日 | 木原組設立。北陸一円、滋賀県に営業範囲が及び事業の基礎を固める。 |
昭和2年 1月末 | 未曾有の豪雪が武生を襲い町民が大混乱に陥ったため、木原組の総力をあげ除雪をし町民の生活を救う。 |
昭和24年 1月25日 | 福井県建設業協会武生支部発足。初代会長に木原文右ヱ門が就任する。 |
昭和25年 6月30日 | 木原建設(株)に組織を変更し、資本金1,000,000円に増資する。 |
昭和31年 4月11日 | 日本道路公団発注第一号工事を受注。(有料道路武生トンネル) |
昭和39年 1月9日 | 二代目取締役社長に木原一雄就任。木原文右ヱ門は取締役会長となる。 |
昭和39年 1月10日 | 資本金を10,000,000円に増資する。 |
昭和42年 4月1日 | 建設業法制定により、総合建設業者として大臣登録を受ける。 |
昭和49年 10月9日 | 武生市(現越前市)大虫町7-2に本社を新築移転する。 |
昭和50年 1月10日 | 資本金を40,000,000円に増資する。 |
昭和50年 1月20日 | 東京都港区に木原ビルを新築、東京営業所を開設する。 |
昭和55年 8月1日 | 資本金を60,000,000円に増資する。 |
昭和55年 8月10日 | 資本金を80,000,000円に増資する。 |
昭和61年 10月1日 | 東京営業所を東京支店に昇格する。 |
平成8年 4月1日 | 丹生営業所を開設する。 |
平成11年 9月22日 | 国際標準化機構『品質管理 ISO9002』認証取得。 |
平成13年 11月16日 | 三代目取締役社長に木原一治就任、木原一雄は取締役会長となる。 |
平成14年 5月20日 | 資本金を300,000,000円に増資する。 |
平成17年 6月10日 | 丹生営業所を移転する。 |
平成17年 6月17日 | 資本金を360,000,000円に増資する。 |
平成19年 5月24日 | (株)府中コーポレーションを資本金40,000,000円(木原建設(株)100%出資)を以て設立。 |
平成21年 4月6日 | 木原建設(株)代表取締役社長に塚谷秀男就任。 |
平成21年 7月11日 | (株)府中コーポレーションを社名変更し、(株)キハラコーポレーションとする。 |
平成22年 2月18日 | (株)キハラコーポレーション代表取締役社長に塚谷秀男就任。 |
平成22年 3月1日 | 木原建設(株)を吸収分割により、(株)キハラコーポレーションが承継する。資本金を100,000,000円に増資する。 |
平成25年 2月1日 | 木原建設(株)が(株)キハラコーポレーションを吸収合併する。 |
平成25年 2月1日 | 木原建設(株)を社名変更し、(株)キハラコーポレーションとする。 |
平成27年 8月2日 | 資本金を90,000,000円に減資する。 |
平成28年 5月6日 | 代表取締役社長に水津誠就任。 |
平成29年 8月16日 | 資本金を40,000,000円に減資する。 |
令和元年 7月30日 | (株)キハラコーポレーションを社名変更し、株式会社木原とする。 代表取締役社長に松田耕治就任。 |
令和2年2月14日 | 東京支店を台東区東上野 2 丁目 1 番 13 号に移転する。 |
木原 百有余年の歴史をこれからの力に・・・
明治32(1899)年、確かな命の鼓動を打ち始めた木原。その鼓動は歴史の歩みと共に力強さを増し、今日まで年にわたって信頼と情熱という新しい生命を育んで参りました。木原が積み重ねてきた年という遙かなる時間、それはまたまっすぐに尽くしてきた社会への貢献の1世紀でもあるのです。
[年物語]
今から年前の、明治32(1899)年。木原は「木原事務所」として声をあげました。創業者であった木原文右ヱ門は何事にわたっても一途の人柄で、「土木建築に携わる者は、地球の彫刻師である」という熱い思いを事業のすべてに注ぎ込んだのでした。
その情熱は次第に大きな夢となって躍進、6年後の明治38年(1905)年には木原組を設立。それを契機に公共工事へと翼を広げ、県内はもちろん滋賀県へと活躍のステージを拡大し、木原の基礎を築いていったのです。人々の記憶の奥底に眠る木原年の源流へ、今遠く遥かな時間旅行へと旅立ちます。
[白鬼女橋伝説]
昭和37年の彼岸の中日のこと。災害助成工事中に偶然にも白鬼女橋下流80m、深さ30mの川底から観世音像を発見。この尊い姿を永久に残すため、木原 創業者である木原文右ヱ門は観世音像堂を建立し、観世音を大切にまつった。
[板垣隧道]
武生と今立を結ぶ重要な生活道路であった池田道の最大の難所、板垣坂。この険しい峠越えの不便を解消するため、峠を貫いた文右ヱ門。手彫りで完成させた文右ヱ門の魂がこもった隧道の銘板が今も木原本社玄関に保存されている。

創始者 木原文右衛門翁像

板垣隧道の記念碑(実際使用されていた銘板)

トンネル貫通時の記念品などを収めたショーケース。